アフリカの水を飲んだ者はアフリカに帰る
大学に今日も行かなかったので書くことが思い浮かばなかったんですね。
いつもは田園都市線(半蔵門線)に揺られながら何書こうかとか、その日あったこととかを回想してるんですが、、、、、、。
今日はひたすら家でプレゼンに怯えて子犬のように震えてただけなので尚更思い浮かばなかったわけです。
書くネタが無くなったらアフリカに住んでた時のことでも思い出しながら書こうかなあと思ってたわけですが、まさかの4日目でこのカードを切るとは。
毒にも薬にもならない話なので短めに書きますけど、よかったら読んでください。
僕は南アフリカのヨハネスブルグというところに2年間住んでました。
南アフリカの北東に位置する都市で
日本から大体15000キロ離れてます。
いつも日本からヨハネスブルグに行く時、または日本に帰る時は
日本→香港→ヨハネスブルグ
日本→ドバイ→ヨハネスブルグ
日本→シンガポール→ヨナネスブルグ
こんな感じのルートで帰ってました。
クソ遠かった。乗り継ぎ込みで日本の家から24時間かかるときもあったし結構最初はめんどくさかった。
ヨハネスブルグって普段生活してたら聞くことない地名ですよね。
特に何もないですから、それは当たり前っちゃ当たり前なんです。
だけど2年間住んでみてかなり面白かったです。
まず治安がレベチで悪かった
僕の家はクラスター(家が何個も集まって壁で囲われてるところ)にあったのでクラスター内では歩けましたけど、
外はほとんど歩いたことないです。
家から5分くらいのところにCoCoっていうタピオカ屋(馬場にもあるし渋谷にもある)があったんですけど、
一回夜ドライバーさんと家族で買いに行ったらそこの駐車場でなんか怪しい動きがあったんですね。
ドライバーさんにあいつら何してるん?って聞いたら、草を渡してるぜ!みたいなことを言ってました。
なんか後々知った話ですがそのタピオカ屋の裏の建物は麻薬の密売者が溜まってる場所だったらしいですね。
日本だったらマリファナに出会うことも少ないと思いますがヨハネスではわりありがちなことでした。
死体も2年間で2回見ました。
ラグビーの日本チームを父の会社の人とダウンタウンという一番治安が悪い場所に見に行った帰りに1回。
あと1回は学校帰りにバスで事故を見てその時に死んでました。
そしてこのダウンタウンがヤバかった。
画像左の円柱のタワーはボーダコムタワーと言ってですね、入ったら15秒で死ぬそうです。
正確には15秒で死んだそうです。
つい最近政府が介入して中にいたマフィア等を退去させたらしいので今は前より安全らしいですが、
バイオハザードの最終章に登場しましたね。
ローラが食われてました。
今はリオデジャネイロが世界一危ない都市とか言われてますけど一時期はヨハネスがトップだったらしいです。
それでもやっぱり2年間過ごした思い出もあって、忘れられない場所です。
今は自分の部屋にアフリカで黒人のお土産売りの人から買った鹿の皮を飾ってたまに懐かしむようにしています。
「アフリカの水を飲んだ者はアフリカに帰ってくる」とは有名言葉ですが、
僕は帰るつもりはありません。
ただいつか現地に旅行でも行けたらいいなと思う時もあります。
なんかつまんない話になった。
明日はなんか書くことが起こる気がする。
クラスの女子に未読無視されたのをかなり引きずってるからそれについて書くかも。
それか、どうしよう。女の子と仲良くなるために馬場まで歩いて帰ってたらお金がだんだん無くなってきた話でも書くか。
今日よりは面白いこと書くんで。
ごめんな。プレゼンが忙しすぎた。